霜降り明星せいやさんの歌・「もう恋なんてしない」・話し言葉と音色の話

霜降り明星せいやさんの歌を聴いた。槇原敬之さんの「もう恋なんてしない」という歌を歌っている。
なんて上手いの。
様々な声色を持っていて緩急を織り交ぜたソウルフルな歌声…とってもいい。良すぎる。

そしてはっきりと、歌詞の意味が入ってくる。思えば有名過ぎるのにこの曲をしっかりと聴いたのは初めてだった。歌詞を理解しながら聴いた。こんな曲だったのか。素晴らしいな…。

「歌詞が入ってくる」という表現、よく耳にするやつではあるがこれのことなのかもしれない。
「歌詞が入ってくる」を初めて体験した。
歌手ではない人の歌で。

「歌手ではない人の歌で」
歌手ではない人の歌「だから」、霜降り明星せいやさんの歌「だから」歌詞が入ってきたのではないか。

続けざまに槇原敬之さんご本人が歌っているのを聴いた。
綺麗な歌声で歌詞の一音一音が音色、「言葉」というよりは美しい「音」を奏でていた。
せいやさんの歌と比較するとこの両者には何か明らかな違いを感じる。上手さとか良し悪しではない、別物な感覚。
歌詞はせいやさんの時よりも入って来ない。しかし声色は美しく流れていく、楽器のようである。
「歌」というのは「音色」であり「言葉」でもある。
槇原敬之さんの歌声は歌詞以上に音色であり、そこに言葉が載っているような感覚。
せいやさんの歌声は言葉があって、それを音に載せて「言っている」ような感覚がした。

せいやさんは言葉を人に伝えることを大前提とした生業。
せいやさんの歌は音色も美しいがそれ以上に「話し言葉」として放つ言葉の力が強いのかもしれない。だから人が歌詞を受け取り、理解する。
「歌詞が入ってくる」理由はそういうところからなのかと思った。

一方で楽器は言葉のように意味を持たないが音色で感覚に訴えるものがある。
歌手と芸人、同じ歌でそれぞれの歌の良さ、伝わりについていろいろ感じた。

「歌」をこういう風に理解したことはなかった。私は歌に歌詞は必要ないと思っていた。意味のある言葉である必要がないと。「もう恋なんてしない」という曲は短い一曲の中で主人公の性格や微妙ななんとも言い表せない感情の機微を独特な、しかし共感を得る言葉の妙で伝えている。その表現力、歌声、作曲まで…こんな曲作れて…槇原敬之さんの凄さを知った。ありがとうございます。
私は歌詞が要らないと思うのは、だから何なのか?と思うような、理解する意味のない言葉の羅列だったり、後は単純に意味が分からなくて理解が出来ないということも多いからと思う。
「もう恋なんてしない」の歌詞の、この曲の主人公の感情を今理解出来たのは大人になったからだろうか。槇原敬之さんの凄さを分かるようになったのは大人になったということか。

先日音大出身の友人に待望の娘が生まれた。里帰りしているが両親の方言が気になるらしく、汚い話し言葉を聞かせると子どもに悪影響を及ぼすから気をつけて、と言うのである。確かに暴力的というか語気の強い訛りもある。が、この辺りは方言と言ってもまあ古い、田舎っぽい感は確かにあっても、汚いという印象は私はなかった。こちらの両親もことさらそんなことないように思う。
もしかしたら私以上に友人は「音」として話し言葉を捉えているのかもしれない。私は方言も単純に、同じ意味でも異なる表現があるという認識でしかなかったが。
言葉も音として考えると友人には美しかったり汚かったりするのだろうか。いい声とか、「音色」として声を感覚することはあるが、それとは違う「言葉の音」があるのだろうか。とても興味深い。

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